なぜケータイ小説は売れるのか

ケータイ小説は民間説話のように消費される。

本田透の「なぜケータイ小説は売れるのか」は、
その過激な要素が満載の仕組みを読み解いた、
画期的なルポルタージュである。

レイプや妊娠や不治の病、
そんな不幸を堪え忍んだ結果、
「真実の愛」を見つければ、
全ての不幸なイベントがキャンセルされる。

そして「幸福」になれるという信仰が、
ケータイ小説を読む少女たちの心の中に存在する。

「神様」とか「天使」とか宗教的概念の連発は、
「自分探し」がひとつの宗教と化している証左だ。

恋愛信仰は東京においては肥大化した、
資本消費主義社会のシステムと融合している。

地方都市では、恋愛信仰はもっと素朴な、
ある種の民間説話的な姿を取って、
「空気」のように彼女たちの周囲を覆っているのだ。

ケータイ小説は文学ではない。
ある意味、本田透の指摘は正しい。

これからもケータイ小説と文学をめぐって、
さまざまな言葉が語られていくのかもしれない。

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by tsunagunpo | 2009-11-13 11:41 | こまいズム