カテゴリ:こまいズム( 259 )

シン・ゴジラ

観たい夢を観たあとの絶望。

総監督・庵野秀明の「シン・ゴジラ」は、
12年ぶりに日本で製作されたゴジラ最新作だ。

しかし、この映画の主役は巨大不明生物ではなく、
山ほどの登場人物の誰かでさえない。

主役は都市破壊のエクスタシーである。

怪獣は何故存在するのだろうか。

ビルを倒し、人を踏みつぶし、
人間の存在など意に介さず破壊に酔いしれ、
街を炎上させる怪獣の機能が徹底的に描かれる。

シン・ゴジラ」は確かに傑作怪獣映画なのだろう。
だがこの作品には甘美でもっと危険な罠が潜んでいる。

一致団結して国を守ろうとする政治家と官僚。
これをファンタジーと呼ばずして、どう呼べばいいのか。

ゴジラとは何か。
それは原水爆、戦争、地震災害など、
忘れてしまいたい禍々しさのメタファーである。

人は記憶を忘れることによって防衛する。
そして、全ての不都合を忘れた日本にゴジラは召喚される。

本作のヘッドコピーは、
「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」だ。

だが、一番の虚構は前代未聞の国家の危機に、
叡智と技術で総力を挙げて立ち向かう、日本国民そのものではないのか。

ラストシーン、凍結されたゴジラの尾に異形の人型が現れる。

それはオーギュスト・ロダンの未完の作品、
叙事詩「神曲」をモチーフとした、
巨大なブロンズ像『地獄の門』を彷彿とさせる。

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と刻まれた碑文の通り、
地獄の世界と、そこで繰り広げられる永劫の罰、
そして地獄の住人=日本人を庵野秀明は密やかに糾弾する。

「神曲」の地獄において最も重い罪とされる悪行は「裏切り」だ。
地獄の最下層・嘆きの川には裏切者が永遠に氷漬けとなっている。

何かを託し、夢を見ることさえ諦めた我々は、次代を裏切っているのではないか。
誇れる信念で国難に立ち向かえる指導者はどこにも存在しないのだ。

凍結されたゴジラは裏切りの暗喩であり、
それは失われた20年を過ごした日本人そのものの姿だ。

それが庵野秀明の作家性なのだと、溜飲を下げることはたやすい。
しかしその諦念があまりにも残酷なテーゼを奏でる。

明日、終末的な災禍が我々にたとえ訪れるにしても、
今日から幸せになることは決して、遅くはないのである。


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by TsunaguNPO | 2016-08-17 06:58 | こまいズム

海街diary

私はお父さんとの思い出がほとんどないから、
いつかお父さんのことを聞かせてね。

是枝裕和の「海街diary」は、
吉田秋生のコミックを実写映画化した、
喪失と再生の物語である。

鎌倉に暮らす長女・幸、次女・佳乃、三女・千佳の3姉妹のもとに、
15年前に家を出ていった父の訃報が届く。

葬儀に出席するため山形へ赴いた3人は、
そこで異母妹となる14歳の少女すずと対面する。

父が亡くなり身寄りのいなくなってしまったすずだが、
葬儀の場でも毅然と立ち振る舞い、そんな彼女の姿を見た幸は、
すずに鎌倉で一緒に暮らそうと提案する。

親を許せない 長女
姉の幸せを願う 次女
父を知らない 三女
自分を許せない 四女

鎌倉の森、湘南の海。梅酒。
やさしい女主人のいる大衆食堂。

是枝裕和は、四姉妹それぞれの心の移ろいを、
みずみずしい風景に溶け込ませるように静かに、
少しずつだが確実に積み重ねていく。

「死」と「生」が共存するものとして描かれ、
法事や葬儀の場面が多いものの、暗さや湿っぽさとは無縁だ。

再三、ものを食べる場面が映し出され、
ふとした場面でさりげなくエロスが挿し入れられ、
死と生がともにある、ありのままの日常が淡々と綴られる。

生きづらさを乗り越えた先にある光。

その光は日常の積み重ねの中でのみ輝くのだろう。

かけがえのなさ、に向けられた祝福と惜別に人は生きている。

そのかけがえのなさを前にして、
我々は四姉妹がスクリーンに佇む姿に、
「事実」と「虚構」の区別など何の意味があろうかと、
ふと諒解するのである。

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by TsunaguNPO | 2016-06-03 13:33 | こまいズム

言の葉の庭

こころの距離と現実の距離。

新海誠の「言の葉の庭」は、
新宿を舞台にした現代人の孤独を見つめた掌編である。

靴職人を目指す高校生タカオは、雨が降ると学校をサボり、
公園の日本庭園で靴のスケッチを描いていた。

そんなある日、タカオは謎めいた年上の女性ユキノと出会い、
2人は雨の日だけの逢瀬を重ねて心を通わせていく。

居場所を見失ってしまったというユキノのために、
タカオはもっと歩きたくなるような靴を作ろうと試みる。

思春期のノスタルジーを描かせたら、
新海誠に優るアニメ作家はいないのではないか。

総武線の車窓、新宿御苑、マンション、缶ビール、そして雨。

晴れた日には逢えないから雨を願う2人。

だが、梅雨の季節は終わり、夏がやってきて、
季節は動いていくのだ。

人はずっとその場所に立ち止まっていることは出来ない。

だが一歩を踏み出すことはとても勇気が必要だ。

タカオとユキノは不器用で生まれる時代を間違えた存在である。
しかしそんな彼らも現実世界に生きることを肯定していくだろう。

寂しさとか切なさは乗り越えて行かなくていい。
受け入れて、抱えながら歩いて行けるようになればいい。

現実の距離はホームの屋根に細長く切り取られた空の向こうだ。

その空の向こうをこころの距離が越えていくのである。

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by TsunaguNPO | 2014-07-19 14:49 | こまいズム

女のいない男たち

ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。
どこまでも冷ややかな複数形で。

村上春樹の新作短編集「女のいない男たち」は、
喪失という人生の破局が綴られた恐ろしい連作だ。

この短編集の白眉は、冒頭に載せられた、
「ドライブ・マイ・カー」である。

妻と死別した俳優が、
妻と不倫関係にあった同業の俳優と奇妙な友情を結ぶ。

俳優は故人の思い出を語らいつつ、
ひそかな報復を企んでいる。

その告白を聞いているのは北海道出身の、
とある事情で俳優の運転手に雇われた無口な女性である。

「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」

「だから寝たんです」

「女の人にはそういうところがあるんです」

彼女の言葉に俳優は落ち着いた心を取り戻したかのようだ。

淀みなく自然な彼女のギアチェンジのように、
俳優は新しい人生にシフトしていけるのだろうか。

一時の安息を手に入れても喪失はそこに横たわったままだ。

この短編集の主人公たちは、
いずれも女性との「正しい」関係を結ぶことに失敗し、
相手を失った男たちばかりである。

人はいつか大切な人を失ってしまう。

どんな失いかたをしても、いつか人は癒やされるのか。

村上春樹は「そうではないのだ」と呪詛のように物語を共振させる。

我々の人生は個であったとしても、
それはある瞬間にあっけなく全の中に回収されてしまうのだ。

それでも我々は生きたいと思わなければいけない。

人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、
生きているということを実感することもできないのだから。


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by TsunaguNPO | 2014-06-02 18:03 | こまいズム

奇跡

大切なことは日常のこと。

是枝裕和の「奇跡」は、
九州新幹線の開通を記念して撮られた、
切なく甘美なロード・ムーヴィーである。

九州新幹線全線開業の朝が近づく。

博多から南下する「つばめ」と、
鹿児島から北上する「さくら」。

二つの新幹線の一番列車がすれ違う瞬間に立ち会えば、
奇跡が起きて、願いが叶うという。

そんな噂を耳にした小学6年生の航一は、
離れて暮らす4年生の弟の龍之介と共に奇跡を起こし、
家族4人の絆を取り戻したいと願う。

二人の両親は離婚し、兄は母と祖父母と鹿児島で、
弟は父と福岡で暮らしている。

兄弟は、友達や両親、周りのオトナたちを巻き込んだ、
壮大で無謀な計画を立て始める。

小さな伝説は、大きな冒険を呼び起こす。

子どもたちには子どもたちなりの悩みがある。

オトナはオトナなりの事情を抱え、
子どもたちの悩みなど取るに足りないモノとばかり思っている。

この作品が感動的なのは、子どもたちの一途な想いが、
オトナの心に少しだけ残された純粋さを引き出す刹那だ。

旅に出た子どもたちが、世界と出会って帰って来た時に、
私たちはちゃんとさりげなく迎えられる大人でいられるのか。

私たちはみんな生きているだけで、誰かの奇跡だ。

そして大切な誰かがいることこそが、
私たち自身の奇跡なのである。


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by TsunaguNPO | 2014-01-18 11:29 | こまいズム

さよなら、やなせたかしさん

 おそれるな
 がんばるんだ
 勇気の花が
 ひらくとき
 ぼくが空を
 とんでいくから
 きっと
 君を助けるから

やなせたかしさんが死んだ。

 悲しみに
 負けそうなとき
 げんこつで涙ふきなさい
 やっつけなさい
 よわいこころ

東日本大震災で被災した人たちに、
やなせさんはメッセージを書いた。

アンパンマンのイラストが添えられた、
「きっと君を助けるから」のエールは、
やなせさん自身の気持ちそのものだろう。

 正義のための戦いなんてどこにもないのだ。
 正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。

中国戦線に従軍したやなせさんは、
その戦争体験からアンパンマンを誕生させた。

 逆転しない正義とは献身と愛だ。
 それも決して大げさなことではなく、
 眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、
 その人に一片のパンを与えること。

それは戦死したやなせさんの弟や、
戦火の中で命を落とした無辜な人々への、
鎮魂のメッセージに違いない。

やなせさんは人生に対する誠実さを教えてくれた。

才能は努力しても、かなわないかもしれないが、
誠実であることは、いくらかその気になれば可能なのだ。

我々はさまざまな困難に直面しても怖くない。

勇気をもって、希望を信じるんだ。

きっとアンパンマンが助けに来てくれるから。


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by TsunaguNPO | 2013-10-16 12:24 | こまいズム

ラースと、その彼女

傷ついた自分に向き合うこと。

クレイグ・ギレスピーの「ラースと、その彼女」は、
ほろ苦くてハートフルな再生の物語だ。

アメリカ中西部。雪が降り積もる小さな田舎町。

住民みなから慕われる、大人しくて礼儀正しい青年ラース。

兄のガスとその妻カリンが暮らす実家のガレージで、
ひっそり生活する彼をカリンは常に心配し、気にかけている。

だから彼がインターネットで知り合った、
「恋人」を夕食に招待したいと聞いて、真っ先に喜んだ。

ところが当日、ラースが連れてきたのは、
通販で買った「ラブドール」のビアンカだった。

是枝裕和の「空気人形」は、
性欲処理の代用品である人形の「のぞみ」に、
ある日心が芽生えてしまうファンタジーだった。

この物語ではビアンカには心が宿らない。

あくまでも取り巻く人間に焦点を当てた真摯なドラマだ。

設定はコミカルなファンタジーの様相を成しているが、
その底では生と死の問題がデリケートに扱われる。

登場人物たちの気持ちは嘘くさい表現が一切なく、
ラースに対する下手な親切心や同情心などは登場しない。

家族思いの義理の姉カリンを演じる、
エミリー・モーティマーがいい。

町の人々は勇気をもってラースに手を差し伸べる。

しかし手を掴む方には差し出す方以上に勇気が必要だ。

人々はそのことを承知し、辛抱強く取り組まねばならず、
ラースもその大変さをわかっているからこそ、
今まで拒否してきた手を握り返そうとする。

深く傷ついた経験のある人ならば、
いくつものメッセージを感じ取れるだろう。


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by tsunaguNPO | 2013-07-31 12:08 | こまいズム

アルゴ

アメリカがやらかしたことを後始末しようとする、
男の孤独で静かな闘い。

ベン・アフレックのアルゴは、
アメリカが18年間封印した人質救出作戦を描くサスペンスだ。

革命の嵐が吹き荒れるイランで、
過激派がアメリカ大使館を襲撃、大使館員を人質にとった。

彼らの要求は、悪政の限りを尽くして失脚、
アメリカに入国した前国王パーレビの引き渡しだった。

大混乱のなか裏口から6人の大使館員が脱出、
カナダ大使の家に身を隠す。

見つかれば彼らの命はもちろん、人質の身も危ない。

絶望的な状況を打破するため、CIAの人質奪還のプロ、
トニー・メンデスが呼ばれる。

トニーが立てた作戦は、ウソの映画を企画し、
6人をロケハンに来た撮影スタッフに仕立て上げ、
出国させるという奇想天外な計画だった。

プロフェッショナルの物語である。

男たちは自分の知力と戦略を信じて、
暴挙とも思える作戦を淡々と遂行させていく。

すべてが事件のあった1979年というあの時代の空気感、
イスラム過激派の台頭への衝撃という感覚を再現し、
まるでドキュメンタリーのような肌触りだ。

1979年は、ソ連がアフガンに侵攻した年でもある。

監督のベン・アフレックはイランという国家を、
単純な悪として描いてはいない。

それよりもアメリカの「失策」を内に秘め、
単身人質救出に向かう決意が胸を熱くさせるのだ。

国家や人種や宗教を越えて、
人は自分と戦っているのかもしれない。


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by tsunaguNPO | 2013-05-10 20:49 | こまいズム

非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎

アウトサイダー・アートの世界にあって、
ヘンリー・ダーガーはスーパースターである。

ジェシカ・ユーの「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」は、
孤独なパラレルワールドに生きた男を追ったドキュメンタリーだ。

1973年、シカゴ。

身寄りの無い独り身の老人が他界し、
はじめてその作品群が家主によって発見された。

おそらく世界最長となる15,000頁を超える小説と、
多くが3m以上もある数百枚の絵。

周囲の人々が貧しい普通の老人にしか見えなかったと、
口々に語るその男は、“非現実の王国”と名付けられた、
自分だけの小さな別世界に生きていたのだった。

子どもを奴隷にする残虐な大人たち、
グランデリニア軍との死闘を繰り広げる七人の少女戦士、
ヴィヴィアン・ガールズの天真爛漫と残酷邪悪が並置する物語。

その異形の物語はどのようにして産み出されたのか。

芸術は創るものと鑑賞するものとの共犯で成り立つ。

あくまでも自分の精神世界を記述したヘンリー・ダーガーは、
言ってみれば本当の意味での芸術家ではないのだろう。

天涯孤独だったダーガーは、おそらく女性の身体を見たことがなく、
物語に登場する全裸の少女たちには一様にペニスが書かれている。

19歳から73歳で死ぬ直前まで50年以上に渡り創作された、
「自身の物語」は、彼の人生を再構築する試みだった。

人生は一冊の書物に似ている。

無為に自分の人生を送っているであろう我々に、
ダーガーは生き方の一つの形を呈示する。

他者から見れば哀れな人物だったかもしれないが、
ダーガーは自分の物語を創造することで、
自分の人生を念入りに、そして熱心に読み込んだのだ。 

ダーガーは自分の人生を、ただ一度しか、
それを読むことが出来ないことを知っていたのである。

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by tsunaguNPO | 2013-04-22 17:41 | こまいズム

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

失われてしまったいくつもの可能性と、
もう戻ってくることのない時間。

村上春樹の新作、
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、
自らの人生をつかみ直そうとする男の物語である。

主人公・多崎つくるには、高校時代、親密な友だちがいた。

自然発生的にできあがった5人のグループ。

つくる以外の仲間の姓にはそれぞれ、
「赤」「青」「白」「黒」という文字があり、
つくるだけが「色」と無縁であることに疎外感を感じている。

一人だけ故郷を離れて東京の大学に入ったつくるは、
突然に仲間から絶交を言い渡されてしまう。

36歳のつくるは、鉄道会社の駅舎設計をするエンジニア。

不条理ともいえる友からの拒絶は、
つくるの心に未だダメージを残していた。

過去と正面から向き合わなくてはいけない。

そう決心したつくるは、
16年前の拒絶の「理由」を探し求め始める。

人の心と心は調和だけで結びついているのではない。

それはむしろ傷と傷によって、痛みと痛みによって、
そして脆さと脆さで耐えがたく繋がっている。

心の奥の深く暗い部分にためこんだ喪失感や孤絶感は、
リストの「巡礼の年」の調べに乗せて、
我々に乗り越えるべき何かを静謐に導き出す。

人は自分のそのよるべなさを直視しない。

だが、自分の人生から逃げ出すことは出来ないのだ。

過去の傷を直視し、人生を取り戻そうとすること。

多崎つくるは貴方であり、私なのだ。

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by tsunaguNPO | 2013-04-14 15:06 | こまいズム