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根津嘉一郎さんというひと


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以下はウイキペディアから引用しました。
「火中の栗を拾う男」、というところがすごいですね。
この銅像はボクが高校生のときに再建されたんですね。
もっと小さい頃からみていたような気がしていたけど。
記憶ってあてになりませんね。

根津嘉一郎(ねづ かいちろう=初代、万延元年6月15日(1860年8月1日) - 昭和15年(1940年)1月4日)は日本の政治家、実業家。根津財閥の創設者である。
東武鉄道や南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わった。「鉄道王」と呼ばれることで有名。
甲斐国山梨郡正徳寺村(山梨県山梨市)の農家に生まれる。根津家は雑穀商や質屋業も営む豪商で、「油屋」の屋号を有していた。
『根津翁伝』によれば、明治10年(1877年)に山梨郡役所の書記として働いていたが、民権運動にも携わる。長男の死により家督を相続し、明治22年(1889年)には村会議員となる。明治20年代には東京へ進出。若尾逸平や雨宮敬次郎と知り合い、甲州財閥を形成。第一徴兵保険会社や帝国火災保険、富国徴兵保険など保険会社の資金を運用し、東京電灯の買収などに関わる。明治28年(1905年)には東武鉄道の社長に就任し、経営再建を行う。経営に行き詰まった企業を多く買収し、再建を図ったことから「火中の栗を拾う男」「ボロ買い一郎」との異名や揶揄を与えられることもあった。資本関係を持った鉄道会社は24社に及び、多くの会社において名誉社長などに就任した。
「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という信念のもと、教育事業も手がけ、大正11年(1922年)に旧制武蔵高等学校を創立する。
なお、明治27年(1904年)以降衆議院議員を連続4期務めた他(憲政会)、大正9年(1920年)より勅選貴族院議員となった。
墓所は多磨霊園。

by TsunaguNPO | 2008-04-02 11:22 | 理事長山本おたおた日記